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ごはん*こうぼう

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黒電話を借りに

震災以降、いろんなことを考えている。
考えすぎて頭がおかしくなりそうなほど。
いや、もう何度もおかしくなっている。病だ。

気がつかなかった、
あるいは
考えないようにしていた事実を知れば知るほど
「多くを望んだばかりにこんなことになってしまったのか?」と
思わずにはいられない。

社会が「もっと」を望み信じていた時代のど真ん中、
私は生まれた。

生まれた年は、終戦から24年。
そして今、実家を離れて24年。

生まれたときから戦時中に遡るのと、
実家を出たバブルの頃に遡るのと同じ年月か!
と思うと、妙に感慨深いではないか。

たとえば自分が生まれた日、
祖父母がふと終戦の日を思い起こしていたとしたら
もしかして、感覚的には、ほんのちょっと前のことだったのか、と。

というわけで、
ほんのちょっと前よりちょっと前、
どうやって暮らしていたのかを
思い出してみたいと思う。


当時の流行歌「黒猫のタンゴ」。B面の「ニッキニャッキ」が好きだった!





1969年。アポロ月面着陸成功。
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どっちかというと、こっちの印象。


我が家は私の誕生を機に
間借りを卒業して、町営団地に引っ越した。

4畳半+6畳、台所に風呂、便所という間取り。

家が狭いので押し入れをぶち破ってテレビを設置。
台所には給湯器もなく冬場はお湯を沸かして皿洗い。
ガス台の前は脱衣所ならぬ脱衣スペース・・・という
「炒め物をしながら裸になる家」(「劇的ビフォー&アフター」)
みたいな設定。

風呂はどういう仕組みだったのか明確な記憶はないものの
マッチをこすって点火していたのは覚えている。
壁も床もコンクリートむき出しで冬場は底冷えがした。
そして「トイレ」ではなく「便所」
という響きが似合う場所は汲取式だった。
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※実物ではありません。

小学校入学前くらいまでだったか、
記憶は定かではないが、わが家には電話がなかった。
かけるときは団地の入り口にある公衆電話から。
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(雪の日はこんな風に入れなくなる・・・)

電話を受けるときは、団地内のYさんちにかかってきて
Yさんの母さんが「○○さん、電話」とわざわざやってきてくれて
Yさんちへお邪魔するのだ。
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主婦の近所付き合いが好きだったらしい私は
電話のお知らせのたびに
母について行ってはYさんちにお邪魔していた。
同い年の女の子もいたが、その子に会いたいというより
Yさんの母さんと世間話がしたかったように思う。


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Yさんちというと、
筋子をまぶした冷やご飯を思い出す。
「ごはん、はっこくてごめんな(ご飯冷たくてごめんね)」
というYさんの母さんに
「はっけほー、うめ!(冷たい方が美味しい)」
と言ってたような気がする。

電話の交換役に話し相手にごはんまで、
なんとありがたいことだろう。

貧乏で不便な生活だったけど、
いろんな人たちにお世話になったのだなぁと、
書きながらいろんな人の顔を思い出している今、である。

つづく
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by yana-hei | 2011-10-11 00:35 | 山の団地
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