ブログトップ

ごはん*こうぼう

yanahei.exblog.jp

わたしの2011年3月11日

こちらのブログにきっかけをもらい、2011年3月11日のことを書いてみようと思う。



曇り空の風の強い日だった。



その日は半休をとっていて午後から出社した。
なぜ半休をとっていたかは記憶にないが、
午後から会議があってそのために出社したのは覚えている。


会議後、自分の机で作業をしていた。

14時46分ごろ 
宮城県北部で震度7の地震。震源地は三陸沖で、マグニチュード(M)8・8は観測史上最大



グラグラと揺れ始めた。

なかなか止まらない。
フロアのみんなは平然としている。
「ドア開けてきます!」と隣に居る上司に告げて、
オートロックのドアを開けにいった。

おさえて1分も経っただろうか、
揺れは止まらず、建物の外に逃げ出した。


会社の人や付近のオフィスビルから出てきた人が数十人いた。
近くにある電源開発の鉄塔みたいなものが
ぐわんぐわんと揺れている。
電信柱も揺れて倒れそうだ。


ようやく揺れが止まり、ふと子どものことを思い出した。
泣いていると女性の先輩が肩を抱いてくれた。


社内に戻ると、上司が何もなかったかのように席に座っていた。
机のそばの大型テレビに緊急番組が映し出される。


さいたまの様子が知りたいと思い
ツイッターで #saitama  ハッシュタグ検索。
大きい被害はなかったのがわかった。

電話は通じない。
さいたままでタクシーで帰ろうか?と、外に出てみた。
既に大渋滞の様相が見える。タクシーの姿も見えない。


15:32 
岩手県釜石市で最大4・2メートルの津波、港で車が多数流される



会社に戻ると、テレビでは津波の映像が映し出されていた。
田んぼの中を走る車が水の中に消えていく。
「すごいですね、映画みたいですね!」と言う後輩。
「お願いだからやめて」と言った。


会社ビルにある公衆電話から保育園に電話をする。
つながった。
園長先生が出て「お迎えが来るまでお預かりします」と言っていただく。
同じマンションの友人とも連絡がつき、
長男をあずかってもらうことに。


16:13 
青森、秋田、岩手県で停電が発生、宮城、山形両県もほぼ全域で停電


17:13 
千葉県市原市の製油所付近で爆発




保育園から携帯に電話。
「何時に戻れますか?」
「予想がたちません。なるべく早く帰るよう頑張るとしかいえません。」


姉と電話が繋がる。
実家は停電になっているらしい。
義兄が実家にむかっているが連絡がないという。

ツイッター #yokote で検索すると
姉の家から実家に行く途中の
踏切の遮断機が下りたまま停止してることがわかった。


夫とは会社のメールでやりとりをして
新宿区にいる夫が歩くなりして
保育園にむかえに行くことにする。
しかし、仕事がありすぐには帰れないという。



近くのコンビニに行くと、もうほとんど食料はなく、
残っていたミニサイズのカップラーメンをいくつか買う。
社長も買い出してきたカップラーメンや水等を
各フロアに配布してくれていた。


19:03 
首相が福島第1原発について原子力災害対策特別措置法に基づく「原子力緊急事態宣言」を発令


営業先から同僚たちがチラホラ帰ってくる。
歩いてきたひと、バスを乗り継いできた人。



もうする仕事もない。

会社のツイッター担当だったので
役立ちそうな情報を会社のアカウントからRetweetしていた。


自分のアカウントからは
歩いて帰る#wmjp(ワーキングマザー)の様子もわかる。


再度保育園から電話。
「何時に帰れますか?」
「申し訳ありません。時間はわかりません。夫がこの先向かいます」
「銀座から地震の後すぐに歩いて帰ったお母さんはもう着きましたよ」


10時過ぎ。
地下鉄も動きだし、夫の帰れる見通しがついた。
どの線を乗り継いでいくのがいいか情報をメールする。


ツイッターで、鎌倉市(だったか)は
保育園では保護者が帰るまで
こどもを預かる旨をツイートしているのを見る。

さいたま市はツイッターアカウントを持っていない。
#saitama で検索していると
とある市議会議員が
保育園が最後まで預かるとツイートしているのを見つけ
感謝の返信。


徹夜は慣れているし眠くもならないので
ひたすらツイッターをして暇をつぶす。

津波で逃げ後れた方のリツイートを猪瀬直樹がひろって
救助を要請した様子等もわかった。
http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY201203180086.html


2時半頃。
夫が保育園に迎え完了。
信濃町から神保町まで歩き、
西高島平まで都営三田線
そこからさいたま市南区まで歩いたらしい。
最後のお迎えだったとのこと。


3時過ぎ。友人からツイートをもらう。
「海が近いんだから早く帰れ」


埼玉県在住の同僚に
「一緒に帰らない?」と声をかける。
女2人、男2人で帰ることに。

JR沿線に住む4人だが、
停止しているJRを待たず地下鉄で帰ることに。
「こういうときは女性の勘にたよったほうがいい」と後輩(男)。


銀座から赤坂見附まで歩く。
空が白み始めている。

新橋駅には駅が開くのを待つ列ができていた。

途中、地震の影響でまがった東京タワーを見る。
前方には会社から支給されたであろうヘルメットをかぶった女性も。
古いビルの下には割れた窓ガラスが落ちている。


埼玉高速鉄道につながる南北線に乗る。
けっこうな人。
途中、何度も緊急地震速報。
乗客の携帯がウワンウワン鳴る。
地下鉄はそのたびに急停車し、運転再開を繰り返す。
冷静な声のアナウンスと4人でいることが心強い。


川口元郷駅で下車。
「遅れて申し訳ありません」と丁寧なアナウンス。

走ってくれてありがとう。


川口元郷から川口駅まで1キロ弱歩き
川口駅から西川口駅までバスに乗った。
西川口駅前に住む後輩の家まで歩き、車でそれぞれの自宅まで送ってもらう。


会社を出る前、
できるだけ身軽にしようと荷物を整理した際に
家の鍵を置いてきていた。

帰る途中から何度か夫にメールを入れていたが返信はなく、
案の定、マンションの呼び出しを押しても出てこない。

出勤していた管理人さんにエントランスを開けてもらい
自宅前へ。

ドアを何度も叩くと、夫が眠い顔で出てきた。


3月12日 8時半。


息子2が起きてきた。

「ママ、おむかえおそいよ〜」
[PR]
by yana-hei | 2013-03-09 01:30 | つれづれ
<< わたしの2011年3月11日〜その2 ゼニや‼ >>