3月14日月曜日
会社を休んだ。
3月12日にはすでに福島第一原発1号機が水素爆発していた。
11時頃に3号機が爆発。
息子1は午前だけ学校。
余震も続き、
心細いのでマンションの友人とずっと家にいる。
昼前、保育園に布団や着替えをとりにいき
金曜のお礼を言ってくる。
5分弱外に出るが、なんだか怖くてしょうがない。
空から放射性物質が振ってくるような気がする。
息子1が帰宅すると、今日は外に出るなと言い聞かす。
「レントゲンとおなじぐらいなんでしょ?」と友人が言う。
「でもわたしは嫌だから出さない」
たしかにテレビでは大学の先生が
シーベルトの比較表を見せてそんなことをいっていた。
「人間には免疫力というのがあって打ち勝つ力があるから大丈夫」
とも言っていて
その言葉に勇気づけられ泣いてしまったりもしていた。
気分が塞いでしまうので
「アーノルド坊やは人気者」のDVDなどつけてみる
全く見る気にならない。
「冗談は顔だけにしろよ」とかいってる場合ではない。
心がゾワゾワしているというか
胃袋が浮き上がっているというか
深く呼吸できないというか
とにかく普通じゃない。
3号機の爆発をうけて
会社から明日以降は出社停止と連絡がある。
幸い、メールと電話があればある程度仕事ができるので
明日も休むことにする。
深夜12時をまわって夫が帰宅。
明日からタイに出張なので、あわただしく準備をしている。
「こわい。普通でいられない」と言って泣く。
「だいじょうぶ、だいじょうぶー」と
わたしの背中を叩いて荷物の準備に戻る。
それどころじゃないようだ。
余震も続き原発が心配な中、
ひとりで子ども2人を守れるのか。不安でならない。
3月15日 火曜日
何をしていただろうか。
息子1も学校が休みになったはず(記憶にない)。
おそらく家に閉じこもって過ごしていただろう。
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/505881.pdf
さいたま市のモニタリングポスト測定結果。
15日から下降してきている。11時付近がピーク。
夜。子どもが寝た後、
ツイッターで子持ちの友人が地方に移動していることを知る。
内田樹さんが
疎開に言及しているのをツイッターで見たのはいつだったか。
会社の子持ちの友人に電話。
疎開したいね、と話す。
でも友人は、仕事があって休めないという。
深夜12時付近、大きな余震があった。
こどもたちはぐっすり眠っていて目も覚まさない。
原発が心配で、情報を得ようとするが
iPhoneを持つ手が小刻みに震えて止まらない。
普通じゃない感じは依然続いていて
気がふれてしまうんじゃないかと思う。
タイにいる夫に電話。
「宮崎に行ってもいいかな」
朝6時。
宮崎の実家に電話をして、これから3人で向かうことを告げる。