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ごはん*こうぼう

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わたしの2011年3月11日〜その2

3月14日月曜日

会社を休んだ。

3月12日にはすでに福島第一原発1号機が水素爆発していた。
11時頃に3号機が爆発。


息子1は午前だけ学校。
余震も続き、
心細いのでマンションの友人とずっと家にいる。

昼前、保育園に布団や着替えをとりにいき
金曜のお礼を言ってくる。

5分弱外に出るが、なんだか怖くてしょうがない。
空から放射性物質が振ってくるような気がする。

息子1が帰宅すると、今日は外に出るなと言い聞かす。
「レントゲンとおなじぐらいなんでしょ?」と友人が言う。
「でもわたしは嫌だから出さない」

たしかにテレビでは大学の先生が
シーベルトの比較表を見せてそんなことをいっていた。
「人間には免疫力というのがあって打ち勝つ力があるから大丈夫」
とも言っていて
その言葉に勇気づけられ泣いてしまったりもしていた。


気分が塞いでしまうので
「アーノルド坊やは人気者」のDVDなどつけてみる






a0019616_755534.jpg








全く見る気にならない。

「冗談は顔だけにしろよ」とかいってる場合ではない。

心がゾワゾワしているというか
胃袋が浮き上がっているというか
深く呼吸できないというか
とにかく普通じゃない。


3号機の爆発をうけて
会社から明日以降は出社停止と連絡がある。
幸い、メールと電話があればある程度仕事ができるので
明日も休むことにする。




深夜12時をまわって夫が帰宅。
明日からタイに出張なので、あわただしく準備をしている。

「こわい。普通でいられない」と言って泣く。

「だいじょうぶ、だいじょうぶー」と
わたしの背中を叩いて荷物の準備に戻る。
それどころじゃないようだ。


余震も続き原発が心配な中、
ひとりで子ども2人を守れるのか。不安でならない。




3月15日 火曜日

何をしていただろうか。
息子1も学校が休みになったはず(記憶にない)。

おそらく家に閉じこもって過ごしていただろう。

http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/505881.pdf
さいたま市のモニタリングポスト測定結果。
15日から下降してきている。11時付近がピーク。


夜。子どもが寝た後、
ツイッターで子持ちの友人が地方に移動していることを知る。
内田樹さんが疎開に言及しているのをツイッターで見たのはいつだったか。

会社の子持ちの友人に電話。
疎開したいね、と話す。
でも友人は、仕事があって休めないという。


深夜12時付近、大きな余震があった。

こどもたちはぐっすり眠っていて目も覚まさない。

原発が心配で、情報を得ようとするが
iPhoneを持つ手が小刻みに震えて止まらない。

普通じゃない感じは依然続いていて
気がふれてしまうんじゃないかと思う。


タイにいる夫に電話。
「宮崎に行ってもいいかな」


朝6時。
宮崎の実家に電話をして、これから3人で向かうことを告げる。
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by yana-hei | 2013-03-10 08:17 | つれづれ
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