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ごはん*こうぼう

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わたしの2011年3月11日〜その3

3月16日水曜日

13時台の飛行機で宮崎まで。
空港には赤ちゃん連れの母親がチラホラ。
小学校高学年の姿はない。

搭乗前に会社に電話。
上司にこのままだと気がおかしくなりそうなので
宮崎まで行って落ち着いてくると告げる。

飛行機を待つ間も余震。
どうか無事に着くようにと祈るような気持ちだった。








宮崎空港から電車に乗り延岡まで。
駅まで迎えにきてもらい夫の実家へ。

町外れにあるせいもあるが、何事もないかのように穏やかだ。
余震もない。

近所のひとに「埼玉から避難してきた」と告げるが
みんなたいして驚きもせず、うけとめているようだった。


義弟がWiFiをつないでくれてネット環境は確保。
日中は電話とメールで仕事をしながら
こどもと近所を散歩したりして過ごしていた。


でも、普通じゃない感じは治らない。

お腹がずっとゆるく、食欲もない。
食べものが喉を通らない。

夜はほとんど眠れず、布団の中でツイッターをしていた。

ニュージーランド大地震の救助から戻ったばかりのレスキュー隊員が
福島にむかうツイートも見た。

世の中は被災地を救おうと懸命だ。
自分は安全な土地で安穏としている。

会社も私以外は出社していて
遠隔からはできないことをお願いすると、
快く引き受けてくれる。



宮崎に来て数日、遅れていた生理がやっときた。
少しはホッとしたのかもしれない。


3月22日火曜日
こどもを両親に預けて戻る。

このまま会社もやめて宮崎にいてしまいたい気持ちを
遠くに追いやりながら
羽田からそのまま会社へむかう。

夜、夫と新宿で食事をして帰る。
駅ビルのレストラン街だったが、フロアは閑散としていて
閉店時間が早まっていた。

帰り道、雨が降ってきた。

自転車で帰宅した夫は、
放射性物質入りの雨に濡れたと思う。
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by yana-hei | 2013-03-11 02:13 | つれづれ
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